ベッドの上の夏休み

 

「入院した/ベッドの上の夏休み」

小児病棟入り口で撮られた6センチ角ほどの、印画紙も貴重品だったのだろう密着焼きの小さなモノクローム写真。セピアを越してクリーム色に変色している。小学1年の夏休みに入院した時の写真なので60年も以前のものだ(1953年)。ここ宇都宮国立病院は元陸軍病院だった。衛生兵だった父の駐屯地であり、父と同期の看護婦だった人がこの国立病院の婦長さんになっていた関係で特別臨時に夏休み中だけということで入院させてもらったのだ。改めて写真を見ると並んでいる皆はお揃いの白い寝間着だが、私は格子柄のネルの寝間着姿である。特別臨時でありますからね。おや、夏なのに股引を穿いている。私は小1だから7歳か、皆は私より年長で中学生もいて、隣りに座っているのが3年生だったかタロちゃん。そして後方に高い煙突を備えた煉瓦造りの大きな建物が見える。焼却炉である。

    ☆

病気がちでコホコホと変な咳をしながら背を丸めて歩く息子を心配して、近所の医院に新型レントゲンが導入されたのを機に受診させたら、初期の小児結核が発見された。投薬で治療できる程度の病状だったが忙しさに感けて病気に気づかなかったことを両親は嘆き、すぐに行動する。入院手続きをし、父が宇都宮の叔父から車を借り、取って返して生家がある佐野から宇都宮まで50キロほどの行程か、ゆっくり進む。途中の河原で「おしっこ」「あ、トンボがたくさん!」などと当人は気楽なものだが、両親の心中は如何なものだったか。昼前に病院に到着し、医師やナースに挨拶し廊下の両側に並ぶ6畳ほどの病室に荷をほどく。入り口にはドアはなくカーテンが揺れており、窓際にベッドと小さな机があった。しばしすると父母は仕事もあるので「また来るからね」と帰って行った。よく晴れていたのが夕方になって一転、空が暗転、間もなく栃木名物のドンガラガッシャンの雷雨となる。ベッド上にうずくまり強風と稲光と時折の至近への落雷を見ていた。窓外近くに植えられた大型の向日葵が雷のストロボに暗闇で浮き上がりゴツゴツと窓ガラスを叩く。漸う心細くなりグッスン。